雑記2 4+1の土偶

雑記

2020.03.11

僕たちの店では、開店以来たくさんの陶芸家の方々とお仕事をさせていただいてきました。ご縁に感謝するばかりです。北海道から鹿児島県の種子島まで陶芸家の方々の工房を訪問して、皆さんのお仕事を拝見しているうちに感じたことがあります。それは、もしも万物を創造した神様がいるとしたら、焼きもののお仕事は神様の真似ごとなのではないかということです。真似ごとなどというと、陶芸家にも神様にも叱られると思うのですが、悪い意味ではないのです。それは、小さな子供が自然に親の仕草を真似るような、とても無垢で根源的な行いなのです。京都の南山城村で焼きものをされている清水善行さんは、ご自分で穴窯を築かれました。工房の裏山に洞窟のような深い横穴を掘って作られたのです。窯の原型とも言えるこの穴窯を見ていると、山全体が母体に、窯の中は胎内に見えてきます。

 

四元素という考え方があります。万物は風・火・水・土の四つの要素から成り立っているという思想です。古代ギリシアの哲学者によって唱えられたと言われています。焼きものも、この四元素から出来ています。粘土は土と水。その粘土で形を作り火で焼きます。火を燃やすには風(空気)が必要です。万物が四元素で出来ているなら、焼きものも万物と同じ成り立ちです。

 

その一方で、神様の創造と焼きものとの決定的な違いがあります。それは魂です。

江戸時代に平田篤胤(ひらた あつたね)という国学者がいました。平田は、古事記を中心に日本書紀やその他の古史古伝を深く研究した学者です。彼は人の誕生について、二人の産霊神(むすびのかみ)が風・火・水・土を結合させて子供の肉体を形成し、そこに心魂(たましい)を与えて生まれさせると考えました。また、人が死ぬ時は肉体が風・火・水・土に分解し、残る心魂が神的な霊魂として独立するとも言っています。(吉田真樹「平田篤胤ー霊魂のゆくえ」より)

 

話が散らかりましたが一旦まとめると、焼きもの作りは肉体を生み出すことに似ている、しかし魂を与えることはできないということになります。

さてここで土偶の登場です。土偶も焼きものですから風・火・水・土で出来ています。縄文の人たちはこの土偶に魂を与えようとしていたのではないでしょうか。

 

土偶には中が空洞になっているものが多いです。これは焼成時に割れにくくするためだろうと思われます。自分で土偶を焼いてみて分かったのですが、ある程度のボリュームがある場合、中が詰まっているよりも空洞になっている方が割れにくいのです。また、中空の方が使う粘土の量を減らすことができるのでお得です。でもそれだけではないように感じます。ここから先は僕の勝手な想像ですが、中空にしたのは中に魂が入る余地を残しておいたのではないでしょうか?そう考える根拠は、縄文晩期に蔵骨器として使用されていた土偶が発見されているからです(雑記1を参照してください)。中空の土偶をお骨を入れる容器として使うという発想は、このとき突然現れたアイデアではなく、もともと土偶の内部は魂を入れるための空間だったからではないかと思うのです。

 

僕も自分が作る土偶には、魂の入る余地をどこかに残しておきたいと思っています。四元素に魂を加える、4+1の土偶です。魂の与え方は分かりませんが、そのための小さな空間があることがとても楽しいです。

 

高野祥二